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2013-02-26 |  アドバイザーコラム

第8回:法則その六:「らしさ」が元気の源

●過去の成功体験が、「経験の災い」

 大企業病は、過去の経験が災いする場合もあります。

 以下は、コーズィブスキーが『その科学と正気』という本の中で説明しているもので、バラの香りに対するアレルギーから、バラの花を見ると必ず花粉熱にかかるという男性に対する実験です。

 ある日バラの花束がその男の前にだされて、それをみた男は瞬時に花粉熱の猛烈な発作に見舞われたのです。

 しかし、実際は、そのバラは造花でした。彼の神経がバラを見た瞬間に過去の花粉熱を患った、うとましい経験が災いしたのです。

 「ロンドンのリーゼントパークにて、美しく咲きほこるバラの花(品種:ノスタルジア)」
ロンドンのリーゼントパークにて、美しく咲きほこるバラの花(品種:ノスタルジア)
「本物のバラの香りは人の心を癒してくれる。しかし中にはそれが災いとなる人も・・・。」
出所:筆者撮影

 このようなことを「経験の災い」と表現します。会社という組織の中でもこの経験の災いが起きる場合があります。

 犬猿の仲の同僚Aさんが共同提案者となって、新製品の提案をしました。実際は他のメンバーと一緒の共同提案でしたが、そこに連ねられた提案者Aの名前を見ただけでアレルギー反応、つまり拒絶反応を起こしたのです。

 また、過去の成功体験が「経験の災い」になる場合もあります。

 よくある話ですが、「昔はよかった。もっと自由に研究費がつかえたのに・・」といって過去の思い出に浸り、現在の会社の活動を否定するような場合です。

 時代が変わったことを知ろうとせずに、昔を回顧ばかりする人間は「経験の災い」にだまされているのです。

●企業にも遺伝子「ミーム」がある

 人間には、人それぞれ親から受け継いだ遺伝子があり、それが生物学的な意味で人間の体や、細胞をつくりあげるもとになっています。

 そして生物学的な遺伝子以外に、もう一つ「ミーム」という「文化」を創造する遺伝子、つまり「文化遺伝子」があることを、オックスフォード大学のリチャード・ドーキンスという有名な生物学者が指摘しています。

 ミームとは彼による造語で、集英社のimidasによれば、「文化の情報をもち、模倣を通じて人の脳から脳へ伝達・増殖する仮想の遺伝子」と定義されています。

 会社にとっての遺伝子はリーダーのビジョンから始まります。

 筆者も資生堂在職時代に、会社が持つ遺伝子が、その企業の「らしさ」の原点になっていることを肌で感じていました。

 資生堂以外にも多くの会社に遺伝子があります。

 創業の父、松下松下幸之助の「企業は社会の公器」という遺伝子を大切にする「パナソニック。自由闊達な文化で他社にまけない特長的な新製品を生み出す3Mの遺伝子など、それぞれの会社に独自の遺伝子があります。

 ただ、ここで勘違いしてはいけないのは、遺伝子があってということよりも、その遺伝子を長年にわたり、その企業が育んできたということです。

 結局、ブランドや宣伝・広告、そして社員の営業風土など、すべてのインタンジブルな(無形の)資産がそれぞれの企業にとっての固有の文化につながるということです。その結果、また新しい価値や美意識の醸成に繋がり、その遺伝子が育まれます。

 そしてトップのコミットメント(強い意志)と現場の取り組みが一体となって、遺伝子は形成され、また年を経て育まれていく。これらがすべて好循環のサイクルで拡大するというスパイラルアップにつながるのだということです。

●「暗黙知」を「形式知」に

 どの企業も、哲学(あるいは文化)と呼べるものをもっています。「ただ儲かればいい」という哲学もなくはないのですが、それだけの企業は、いたって寿命が短いものです。

 呉服店を出発に今日まで栄えてきた「三越百貨店」、三方よしで有名な近江の出身企業「伊藤忠商事」など、しっかりした哲学をもっている企業ほど、長い歴史をもち、そして逆境も乗り越えてきています。

 ただし、企業という組織は、個である社員の集合体です。一人ひとりが企業の哲学を理解しているつもりでも、その解釈が微妙に違ってくる場合があります。根元で微妙な違いであっても、先へ行けば行くほど、やがて大きな違いになっていきます。

 そういう会社は、同じ組織で働きながら、それぞれがバラバラのことを目指していることになりますから、企業という?船?は、なかなか前に進めないことになります。

 これでは成長がありません。仮に逆境という流れの速いところにくると、力不足で前に進めないどころか、押し戻されることになってしまい、そのまま沈没ということもありうるのです。

 そうならないために、企業という組織で働く社員は、常に同じ方向をむいていなくてはいけません。団結が必要なわけです。その団結の結束点が、企業としての哲学なのです。

 ただし、先ほども触れたように、その哲学が社員の解釈で違ってくるのでは困ったことになります。そうならないために必要なのが、「明文化」です。

 暗黙知といわれる「だまっていてもわかる」は、わからないことがあるのが常です。皆が理解・納得がいくようにきっちりと文章にしておく、つまり「形式知」にすることが大事なのです。

●変わるということ

 企業には、創業以来の経営に対する基本的な考え方があります。しかし、時代は常に流れています。その流れに乗っていかないと、企業という船は沈没しかねません。そのためには、創業の精神を大切にしながらも、時代にあわせて変えていくことこそが大事なのです。

 つまり、「不易流行」です。この言葉は、松尾芭蕉による蕉風俳諧の理念の一つで、俳諧の特質は新しみにある、という意味です。「不易」とは、いつまでも変わらないことですが、いつまでも変わらない本質的なものを大事にしながらも、新しみをもとめていく(流行)ことが重要だということです。

 新しみをかさねていく流行性こそが、結局は不易の本質でもあります。時代にあわせて新しみをかさねていかなければ、不易の部分は正しく理解されません。新しみを重ねてこそ、ほんとうに不易の部分を大事にすることになるのです。

 企業として団結するために、不易は重要です。寄って立つ精神が揺れ動いていたのでは、社員は何を基準に行動したらいいかわからなくなるからです。ただし時代を無視した不易では、社員は企業から離れていってしまいます。それでは、企業は存続できない。団結を強めていくためには、不易流行が大事なのです。

●トヨタ遺伝子の原点「トヨタ綱領」

世界に冠たる企業であるトヨタグループは、1935(昭和10)年に「豊田綱領」をまとめています。トヨタ自動車を中心とするトヨタグループは、1926(昭和元)年に設立された豊田自動織機製作所が元になっています。

トヨタ産業技術記念館に展示されている「G型自動織機」
トヨタ産業技術記念館に展示されている「G型自動織機」
筆者撮影

 その豊田自動織機の操業者・豊田佐吉氏の遺訓としてまとめられたのが豊田綱領です。それは、次の5項目から成っています。いまでもトヨタグループの全社員が寄って立つ「精神」です。

一、上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし。
一、研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし。
一、華美を戒め、質実剛健たるべし。
一、温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし。
一、神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし。

 その後の1992年、トヨタグループは「トヨタ基本理念」をまとめます(1997年改訂)。豊田綱領から60年近くが経ち、めまぐるしく時代は動いていたからです。それが、次の7項目です。

1.内外の法およびその精神を遵守し、オープンでフェアな企業活動を通じて、国際社会から信頼される企業市民を目指す。
2.各国、各地域の文化・慣習を尊重し、地域に根ざした企業活動を通じて、経済・社会の発展に貢献する。
3.クリーンで安全な商品の提供を使命とし、あらゆる企業活動を通じて、住みよい地球と豊かな社会づくりに取り組む。
4.様々な分野での最先端技術の研究と開発に努め、世界中のお客様のご要望にお応えする魅力あふれる商品・サービスを提供する。
5.労使相互信頼・責任を基本に、個人の創造力とチームワークの強みを最大限に高める企業風土を作る。
6.グローバルで革新的な経営により、社会との調和をある成長を目指す。
7.開かれた取引関係を基本に、互いに研究と創造に努め、長期安定的な成長と共存共栄を実現する。

●ダイバーシティー、グローバル化を意識した「トヨタ基本理念」

「豊田綱領」にあった「神仏を尊宗し」は、「トヨタ基本理念」では消えています。とはいえ、「神仏」を否定しているわけではありません。「綱領」の時代と違い、宗教自由の思想は広まり、多くの宗教が日本で定着しています。そういう宗教の自由を認める姿勢、つまりダイバーシティー(多様性)を認める精神が背景にあると筆者は感じました。

 そして「基本理念」全体にいえることは、グローバル化をかなり意識しているということです。「綱領」の時代には考えられなかったほど、「基本理念」のころにはグローバル化がすすみました。グローバル化抜きにはトヨタグループを語ることはできない、ともいえます。そういう「流行」が、「基本理念」にははっきり表れています。

 しかし、「様々な分野での最先端技術の研究と開発に努め」と「基本理念」でいっていることは、「綱領」の「研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし」とまったく同じことです。

 つまり、「基本理念」は「綱領」の否定ではなく、「綱領」の考えを、その精神を大事にし、それを時代にあわせて生かせるように発展させたものなのです。まさに、不易流行です。

 さらに2007年には、「グローバルビジョン」をトヨタグループは制定しています。それは、「創業以来の精神である『モノづくり、車づくりを通して社会に貢献する』ということの意味を今一度かみしめ、強い情熱と高い意思を持って、『豊かな新世紀社会を実現する』ために邁進する」というものです。

 ここでも時代に合わせながら(流行)、創業以来の「モノづくり、車づくりを通して社会に貢献する」という変わらない根本的な精神(不易)が協調されています。

 流行性を重視するからこそ、不易の部分が現代にも正確に伝わっているのです。それが、トヨタグループの「らしさ」の本質でもあります。それがあるからこそ団結力が生まれ、トヨタグループの強さが生まれているわけです。

●資生堂と「書生堂」

 資生堂は、1872(明治5)年9月、 日本で最初の洋風調剤薬局として、福原有信氏によって東京・銀座で開業されました。

 まだ企業と呼べるようなものが育っていない時代で、どこでもそうでしたが、多くの店員は住み込みで働いていました。一緒に暮らすことで「家族」として団結し、それぞれの事業を大きくしていったのです。いまは大企業である資生堂も、そのルーツは家族主義的経営だったわけです。

 その創業から間もないころ、資生堂では、本業だけでなく、社員にはそれ以外の何かを学ぶようにいわれていました。簿記や英語、書道に華道、なかには「国際語」としてつくられたばかりのエスペラント語を学ぶ者まで現れたそうですから、その学ぶものは幅広かったようです。

 学ぶのは自主的な取り組みだけではありませんでした。業務のなかでも、上司や先輩が教え、それを学ぶことが基本姿勢とされてきました。資生堂の「らしさ」です。

 店員がいろいろなことを学ぶ姿勢は世間にも知られるところとなり、そのうち「資生」と「書生」の音感が似ていることから、「書生堂」と呼ばれたりもしました。

 書生は明治から大正にかけて「学生」を意味する言葉でした。学生のように勉強する店員のいる店、といった意味です。それほど勉強する社員のいる店だから信用できる、という消費者の気持ちが表れています。

 現在の資生堂には、もちろん住み込みの社員はいません。一緒に暮らしながら励まし合い学ぶという環境はありません。しかし、学ぶことを重視する姿勢は受け継がれ、資生堂の企業文化の一角をかたちづくっています。

●資生堂と「書生堂」

 ただ、一時、低迷した経済状況の影響で業績がふるわず、人材育成に力をいれることができない時期もありました。それを反省した資生堂は、改めて人材育成の考え方を見直し、「共に育ち、育て合う環境をつくる」という目標を掲げたのです。

 お互いに成長し、魅力ある人で組織を埋めつくしたときに初めて、顧客の美しさに貢献できる企業に生まれ変われるという信念からでした。人材育成こそが資生堂の「らしさ」であり、それを失えば企業としての目標を達成できない、と考えたのです。

 資生堂には、社員が自主的に学ぶということを文化があり、この文化をトップは大切にしていました。

 私が資生堂に在職した頃、当時社長の福原義春氏(現・名誉会長)が、年頭にあたって毎年、社員にメッセージを託したゴールドカードを配っていました。

 1993年の正月のゴールドカードには、次のようなメッセージが書かれていました。

ゴールドカード
 出所:資生堂広報部提供

 「ここはあなたの会社です。」とは、つまり、社員であるあなた自身の会社と言うことです。「会社はだれのものか」という議論があります。もちろん株主もそうですが、働く社員もその一役を担っていると筆者も考えています。

 「社員が成長することで会社も大きくなります。そして社会へ広がります。ともに学び、人間的な成長を目指しましょう」という意味がこめられています。その原点にあるのが学ぶ精神文化です。こうした文化を資生堂の社員も大切にしています。

 私の後輩の社員も、仕事をしながら夜ロースクールにいって司法試験に合格しました。また、役員秘書の仕事をしながら夜間に大学院で学びMBAを取得した女性もいます。

 かくいう筆者も、29歳で販売会社の営業の頃、中小企業診断士の国家資格に挑戦し、仕事が終わって夜学校に通い、2年を要して資格を取得しました。

 このように、新しいことに積極的に取り組む文化があるのです。資生堂の「らしさ」の一つです。それがあるので、新しくチャレンジしなければならないことが現れても、社員が一丸となって取り組めるのです。

 2014年6月、新しい社長が誕生しました。逆境に強い企業になるために、社員が新しいことに挑戦していく文化を、今一度思い起こし、改革のムーブメントを起こしてほしいと願っています。

 それが資生堂「らしさ」につながり、これからの持続可能な発展に結びつくものと信じています。新体制で、逆境をバネにしてさらなる進化が期待されます。

参考文献
Alfred Korzybski.Science and Sanity, Science Press Printing company,1933
福原義春『文化資本の経営』ダイヤモンド社、1999年
福原義春『ぼくの複線人生』岩波書店、2007年
水尾順一『逆境経営 7つの法則』朝日新書2009年
トヨタ自動車工業株式会社『トヨタのあゆみ』1978年
トヨタ自動車工業株式会社『創造限りなく?トヨタ自動車50年史』1987年
トヨタ自動車工業株式会社『トヨタの概況2008』トヨタ自動車広報部
株式会社資生堂『資生堂百年史』1972年

取材協力
・資生堂広報部
・トヨタ「産業技術記念館」

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