BERC:一般社団法人 経営倫理実践研究センター

Column

コラム

2015 この夏のびっくり!

BERC 主任研究員 星野邦夫

◆パラダイムシフトの実感

  「パラダイムシフト」とは「認識の劇的転換」。学者や評論家がちょっと格好をつけて使う言葉のように思うが、もともとは1960年代アメリカの科学史家トマス・クーンが使い出した言葉だそうだ。例として天動説が地動説に代わったこと。ニュートン力学がアインシュタインの相対性理論に代わったことなどである。パラダイムシフトは「パラダイム転換」とか「パラダイムチェンジ」とも言い換えられ、今日では科学分野にかぎらずあらゆる分野で使われている。つまり平たく言えば「びっくり!」ということか。
 私にとってこの夏のパラダイムシフトといえば、一つは東芝不適切会計事件。もう一つはお笑い芸人又吉直樹さんの芥川賞受賞である。
 東芝のイメージは、親しい友人で同社社員の真面目さも手伝って「地味だが堅実な会社」できた。わが家で使う家電製品は何かと東芝製が多く、LED電灯や冷蔵庫、エアコン、ウォシュレット、パソコンなど、これまで製品として大きく裏切られたことはない。
 しかし今回7月20日に発表された294頁に及ぶ第三者委員会の報告によるとその真相は元会長、前副会長、現社長が関与した組織的で長期的かつ大規模な粉飾会計であったとこがわかる。「地味だが堅実な会社」ではなく、「静かに不正を隠し続けてきた無謀な会社」であったことがわかり、心底騙された気がする。
 2008年度から2014年度第3四半期までの不適切会計の累計額は1518億円(自主チェック分を合わせると1562億円)に上るそうだ。もしかするとこれだけで済まないかもしれない。
 もう一つの「びっくり!」、又吉直樹さんは、パラダイムシフトと言っても良いパラダイムシフトである。私はもともと文化芸術に感度の鈍い性格なのでお笑い文化がよく理解できてない。テレビなどで若い芸人がでてくるとすぐチャンネルを変えてしまう。なかでも又吉さんについては、暗くて間が悪く、ほとんどなにも面白く無い芸人との評価をしてきた。
 それでも、直木賞が出る時の文藝春秋はだいたい読んできたので、今年も発売されるやすぐに買いもとめ、受賞作「火花」を読んでみた。数頁読み進むとこれはただ者ではないとわかり、一気に最後まで読み切ってしまった。
 「報われることの少ない二人の芸人が都会の片隅で潰されそうになりながらも夢を捨てきれず、やせ我慢をしながら今日を生きていく」というような、はたから見るとたわいもない話なのだが、とてもピュアで優しく懐かしい空気が心地よく、心を洗ってくれるような作品」と感じた。ストーリーの組み立ても文章の運びも洒脱で、決して一発屋ではないと思う。
聞けば又吉さんは大変な読書家で小学6年生の時からびっしりと話のネタ帳を作り続けてきたという。人には様々な才能がある。見てくれや話ぶり、あまり売れてない芸人ということでなんとなく下の評価をしていた自分を恥ずかしく思った。これぞまさしく「パラダイムシフト、認識の劇的転換」を経験した夏であった。


◆ハラスメント紛争におけるパラダイムギャップ

 連想ゲームのようで恐縮だが、本題はここから。パラダイムシフトに続いて「パラダイムギャップ」。「パラダイムギャップ」とは、短く言えば「人や集団による認識の食い違い」ということでもある。
 過去にコンプライアンス担当者としてハラスメント紛争を扱い、その後も研究者の端くれとして関わってきた筆者の経験では、多くの場合加害者と被害者の言い分はまるで異なる。お互いを不当だと非難することで紛争になる。そこには自分を有利に見せようとする意図的な場合もあるが、実際に相容れないものと認識している場合も少なくない。セクハラ(セクシュアルハラスメント)も、パワハラ(パワーハラスメント)も、モラハラ(モラルハラスメント)もそこが先ず厄介なところである。
 例えば、プロジェクトの打上げ会で若い女性が中年男性にちょっと抱きつかれたと言ってセクハラ被害の申出が来たとする。何かにつけやたらとハグし、キスをする欧米の習慣の中ではこの程度のことは問題にならないであろう。むしろハグしたりキスをしたりしなかった方がマナー違反だと思われるかもしれない。しかし日本ではそうは行かない。両者を呼んでヒアリングとなる。すると男性は「そんな目くじらを立てないでよ。嬉しさと親しみの表現だよ」などと言う。女性は「抱きつかれた。れっきとしたセクハラよ」と眉をつり上げる。
 一方、パワハラでは、加害者は「指導(正当な職権の範囲)だ」といい、被害者は「パワハラ(人権侵害)だ」という。モラハラでは加害者は「何もしてない。被害妄想だ」とい言い、被害者は「無神経。陰湿ないじめだ」と言う。お互いの言い分は噛み合わず、それぞれ何か合理的な評価基準がないことには紛争と化してしまう。ただしセクハラについては曲がりなりにも厚労省の判断基準が示されている。パワハラにはそれがないままなので実に始末が悪い。
 男女雇用機会均等法の改正に付随して、「セクハラ防止に向けた事業者向けガイドライン」が発行されており、その中で「セクシュアルハラスメントの判断基準」が示されている。この判断基準は一見して玉虫色でいかにもお役人が有識者の意見を集積した寄せ集め文書のようにも見えるが、実は相当なすぐれものである。
 何故なら、ここには第一にセクハラ判断にはある程度客観的な判断基準があり、社会通念にも近い「セクハラだと思われたらセクハラだ」という俗説を否定していること。 第二に男性と女性のパラダイムギャップ(見方感じ方の違い)をはっきり指摘していることである。
重要部分だけを以下に示す。詳しくは厚労省のホームページで確認していただきたい。

セクハラ防止に向けた事業者向けガイドライン(厚労省)抜粋

・・・・「労働者の意に反する性的な言動」及び「就業環境を害される」の判断に当たっては、労働者の主観を重視しつつも、事業主の防止のための措置義務の対象となることを考えると一定の客観性が必要です。・・・・また、男女の認識の違いにより生じている面があることを考慮すると、被害を受けた労働者が女性である場合には「平均的な女性労働者の感じ方」を基準とし、・・・・とすることが適当です。(下線は筆者)

◆ 加害者と被害者のパラダイムの4パターン

 パワハラがこじれて紛争となる場合、加害者は指導の範囲だと主張し、被害者は人権侵害のパワハラだと主張する。ここで「指導」とは職務権限の行使が職務上の適切な範囲に収まっている場合を指し、「パワハラ」とは職務権限の行使が適切な範囲を逸脱している場合を指すとする。
 上位者の行為を部下がどのように受け止めるかによって、以下のように4つのパラダイムゾーンが成り立つ。

・ゾーン? 上位者の指導を部下が指導と受け止める場合
(この場合、パラダイムギャップはないので紛争は起きない)
・ゾーン? 上位者の指導を部下がパワハラと受け止めている場合
(パラダイムギャップがあるので紛争となる。上司はくたびれ、部下も傷つく)
・ゾーン? 上位者のパワハラ行為を部下もパワハラだと受け止める場合
(パラダイムギャップはないので管理部署が改善指導すれば紛争解決は難しくない)
・ゾーン? 上位者のパワハラ行為を部下が厳しい指導の一つだと誤解している場合
(パラダイムギャップがあるので部下はひどく消耗してしまう。職場環境への悪影響は否定出来ない)
  ここでちょっと補足すると、ゾーン?は比較的よくあるケースで、上位者の行為は指導として適切な範囲にあるのに、部下はハラスメントをされたと受け止め、傷ついてひどい場合はうつ病になってしまう。少子化やゆとり教育の中で大事に育てられた若手社員は会社の厳しさに直面すると簡単に落ち込んでしまうことが多い。その際会社は「これはパワハラではない、被害者が弱すぎる。もっと頑張れ」と言い切ってしまって良いのだろうか。勿論そんなことはない。被害者の誤解であったとしても、会社は社員の労働安全衛生について基本的債務を負っており、病気に陥った社員の健康回復に努めければ債務不履行になる。
  ゾーン?も時々見かけられるケースで、上位者の理不尽な要求を厳しい指導と誤解して頑張るのだから悲惨である。ハラスメントとして異議申し立てをすることもないのでとことん疲弊してしまい、最後はうつ病になることが多い。ところが現実はややこしい。このような中にあっても驚異的な力を発揮して理不尽な要求を乗り越えてゆく人がたまにいる。はた目には上司の虐待としか見えないのに業務命令を達成してしまう。このタイプの人は「異能の人」として経営幹部からも注目され、若くして執行役員等に抜擢されたりする。しかも、当人は虐待に近いパワハラを働いた元上司に対し「あの人の時に自分は一番成長した。心から感謝している」などと言ったりする。パラダイムギャップもここに極まれりということであるが、このような人が他人に対しパワハラを拡大再生産してゆくことは容易に想像できる。

◆パワハラ評価におけるパラダイムミックス

 「パラダイムミックス」とは、マーケティングのプロダクトミックス(製品の組み合わせ)に習い、「見方の組み合わせ」と定義させていただきたい。「複眼的な見方」とか「複合的な見方」なども同一のもので、既にいろいろなところで使われている古典的な分析手法である。
 筆者は加害者と被害者のパラダイムギャップを解消して、紛争を公平に解決するには、パラダイムミックス(複眼的な見方)の導入が必要であることに気がついた。前述のとおり加害者の「行為の妥当性」と被害者への「影響の妥当性」はパラダイムギャップがあるのだから同一軸で論じることはできない。そこで2軸で評価すると分かりやすい。
 かくして2009年に「パワハラチェック表」(パワハラかどうかの判断基準)を考案するに至った次第である。
 パワハラチェック表の策定おいては、岡田康子氏のパワハラ定義を参考に、7つの評価項目を定め、それに行為の妥当性と影響の妥当性という2軸を組み合わせるようにした。
 以下に示す。

行為の妥当性とは行為そのものを評価するのであるから非帰結主義的な基準である。一方被害者への影響の妥当性とは行為の結果がどうであったかを評価するのであるから、帰結主義的な基準である。この両方の基準から見ればゾーン?やゾーン?のようなパラダイムギャップが生じているケースでも客観的で公平な評価が可能となる。

 ここで帰結主義と非帰結主義を持ち出すと唐突と怒られるのでちょっと説明しておきたい。帰結主義と非帰結主義は規範倫理学の教科書のコアをなすものである。
 私自身は2004年に梅津光弘先生(現経営倫理実践研究センター首席研究員、現経営倫理学会会長)に初めてご教示いただいたもので、社会事象を評価分析する上で実に有効性の高いツールであると好んで利用してきた。
 ものの見方考え方には、大別して帰結主義と非帰結主義があり、帰結主義は結果の良しあしで判断し、非帰結主義は結果ではなく、動機や行為そのものの良しあしで判断する。帰結主義の代表的な巨匠にはベンサム(倫理的功利主義)とフリードマン(倫理的利己主義)がいて、現代の資本主義や自由主義、グローバリズムの根幹のパラダイムになっている。一方非帰結主義の代表的な巨匠は、カント(義務論)とロールズ(正義論)とがいて、現代の人権尊重や民主主義、公共政策などの根幹のパラダイムとなっている。
 帰結主義の欠点は、結果の良しあしにこだわるので帰結主義一辺倒になると、動機やプロセスの適否が軽んじられることになる。逆に非帰結主義は動機や意図を重んじるあまり結果の良しあしを軽んじることとなる。
 強い企業風土を目指すのなら非帰結主義的な施策、例えば社員教育、基礎的な研究開発投資が必要であり、短期に成果を上げようというのなら帰結主義的な施策、例えば在庫の削減、余剰人員の削減、多様な効率化が必要だということである(浅薄な説明で申し訳ありません。個人の感想としてご容赦ください)。
 東芝の不適切会計事件は、経営トップが帰結主義的戦略一辺倒に陥り、チャレンジと称して在庫や費用、コスト、計上時期などを操作し続けたあげくに行き詰まった事件である。企業経営にとって絶対的なコンプライアンスである会計規律、即ち非帰結主義的な基準をないがしろにした結果でもある。
 他方、又吉直樹さんは人を面白がせたいという動機が明確でそのための投資を惜しみなくつぎ込んできた。芸人で成功するか小説家として成功するか、結果の形にはあまりこだわりがない。非帰結主義的な成功者なのだと思う。

  さて、脱線してしまったが、パワハラチェック表の詳細と運用方法、適応事例については、「実践コンプライアンス・パワーハラスメント編」(PHP研究所2014年)をご覧いただきたい。
ちなみに、パワハラチェック表の狙いを整理すると、
1.指導かパワハラか二者択一ではなく悪質さについての定量的な評価をする。
 2.行為の適否と被害者への影響の適否について、複眼的で公平な評価をする。
 3.不適切部分がどこにあるか把握して、改善や指導に役立てる。
ということになる。
 なお、ハラスメントについてご興味のある会員の方は10月より開講予定の「ハラスメント研究会」の方にご参加をいただければ幸いである。
 東芝不適切会計事件、又吉直樹さんのニュースから始まって、最後はハラスメント研究会の宣伝のような、わけの分からない結末となってしまったが、自由なエッセイということでなにとぞご容赦をいただきたい。また、ここまでお付き合いいただいた方には心から感謝を申し上げたい。

以上

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