BERC:一般社団法人 経営倫理実践研究センター

Column

コラム

「君たちはどう生きていくのですか?」

BERC常務理事 中村 暢彦

今から80年も前、日中戦争がはじまった頃に吉野源三郎が著した「君たちはどう生きるか」が人気だ。漫画版が良く売れているとのこと。現在でいえば中学生になりたての男の子が、様々な事象にぶつかり、そこで感じたことを叔父さんと一緒に考えていくというストーリーだ。主人公が銀座のビルの屋上で叔父さんと行き交う人々を眺め、「人間て、ほんとう分子みたいなものだね」と言った発想に叔父さんが着目し、コペルニクス的展開をもじって主人公にコペル君というあだ名をつけた。

そのコペル君のモデルが、実は自分が以前の会社で机を並べていた同僚の父上らしいということで、私も興味を持った。この10月の終わりの頃である。文庫で読みたかったがその書店には在庫がなく、仕方なく漫画版を手にしたのである。なお、2週間後に別の書店で文庫版を見つけた。早速購入したことは言うまでもない。

上級生から生意気だと目を付けられているコペル君の同級生について、上級生から絡まれた際はその同級生の仲間4人(コペル君ももちろん含む)が一緒になって暴力を受けようという約束を交わしたにも拘わらず、いざその場でコペル君だけが足がすくんで輪に加われなかったというところが一番の読みどころである。コペル君は自分の勇気のなさに嫌気がさし、死んでしまいたいとも思い学校を長く休む。

コペル君と全く同じ経験はないかもしれないが、誰にでも「あのときこうしたかった、けれど勇気が出なくてできなかった自分が情けない。」という出来事の2つ3つはあると思う。電車通学をしていた中学生の頃、帰りの電車で座っていたら、老婆がその前に立ってしまった。席を譲らなくてはと思ったが、何となく声に出すのが恥ずかしい。放課後のクラブ活動で疲れていたので寝たふりをした。その後薄目を開けたりするが、もう席を譲ることなどできない。目を閉じながらも自己嫌悪に陥る。家に帰ってからもそうした自分に腹が立って仕方なかった。

しかし、昨今は様相が違っているようだ。過去のエッセイ、「スマホ全盛時代に考える」でも取り上げたように7人掛けの座席に座っている人のほとんどがスマホの画面に夢中である。視線がそこから離れることがない。このようなときに、お年寄りや妊婦が目の前に立ったら気付けようか?周囲の様子を見ることに興味がないのか、嫌いなのか?まるで熟睡でもしているかのように、自分の世界だけにはまっている。以前はゲームをやろうが何しようがそれぞれの勝手だと書いたが、働き盛りと思われる諸氏がずっとゲームに熱中している姿を見ると、何か違うなと目を背けてしまう。

また、BERCに通勤の為、自宅近くのバス停にいるときに、反対車線を私立の高校の通学バスが通る。自分が学生の頃は、友人と電車に乗りあわせると、馬鹿な話に花が咲いたものだ。ときにはうるさいと他の乗客から小言を食らったこともある。ところが件の通学バスを見ると、座っているもの、立って吊革につかまっているものの皆が視線を手のひらに落としている。顔を向きあわせにこやかに話をしている姿はまるでない。例えは悪いが、葬儀の後に焼き場に向かうマイクロバス以上に沈黙の時間が流れているようだ。

こんなことを縷々考えていたら、テレビのニュースに驚いた。東京メトロ銀座線で、LINEを使って妊婦に席を譲る実験を開始したとのこと。何でも席を譲ってもらいたい妊婦と座席を譲りたい人のマッチングをLINEを通じて行うとのこと。なるほど便利なのかもしれない。特に車両の中で両者が少し離れているときなどは。しかし、マタニティマークを見れば、近くの人がすぐ席を譲れば済む話ではないかなと思ってしまう。私もさすがにこの年になると、声を出す恥ずかしさなどもなくすぐに席を譲ってしまう。ただ、マタニティマークが確認できない限り、怖くて譲ることはできないが。
 自分が年を取ってきたので、すぐ過去と比べてしまうのだろうが、ゲームに夢中なビジネスパースンたちよ、ものすごく静かにスマホに見入っている高校生諸君、これから君たちはどう生きていくのですか?

参考文献;岩波文庫「君たちはどう生きるか」吉野源三郎著

以上

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