BERC主任研究員 萩原 誠
第2回 不祥事の発覚で復活した「大相撲」
2016年初場所の琴奨菊の優勝から始まった大相撲の復活の勢いが止まらない。日本人横綱稀勢の里が誕生した2017年に入るとさらに連日満員御礼が続く。この復活の要因は2007年から2011年までの5年間に相次いで発覚した不祥事(年表参照)による相撲協会の意識改革・制度改革の成果である。
相撲界は一般の国民がイメージするよりははるかに小さい"中小企業=互助組合"のようなものだ。財団組織としての収益は約110億円、職員は(力士670人を入れても)1000人程度。年間入場者は約80万人(プロ野球は2200万人、Jリーグは550万人)である。
しかし閉鎖社会であるがゆえに、また歴史的な制度(年寄株問題)など不祥事に繋がりやすい風土は根深いものがあった。中でも相撲協会が一貫して存在を否定してきた「八百長の存在」が、2011年2月に発覚したことが改革のターニングポイントになった。
時期 | 出来事 | 問題点 |
2007 | 時津風部屋新弟子(時太山)暴行死事件 横綱朝青龍モンゴルサッカー事件 |
時津風親方解雇 2場所出場停止処分 |
2008 | 大麻吸引力士発覚、北の海理事長引責辞任大麻吸引力士発覚、北の海理事長引責辞任 | 若ノ鵬・露鵬・白露山解雇 |
2009 | 名古屋場所維持員席に暴力団関係者多数観戦 (1年後に発覚) |
暴力団との関係 |
2010 | 野球賭博発覚(29名)、名古屋(7月)場所テレビ中継中止)武蔵川理事長引責辞任 | 琴光喜・大嶽親方解雇 暴力沙汰で朝青龍引退 |
2011 | 八百長発覚(力士10数人の関与が携帯電話履歴で判明)春場所(3月)中止、夏場所(5月)技量審査場所へ | 広報部員公募(3月9日) |
2014 | 公益財団法人日本相撲協会(認可)※ |
※ 日本相撲協会は(税制上の優遇措置のある)公益財団法人に認定されている。これは「学芸、技芸、慈善など公益に関する事業であって、不特定かつ多数のものの利益の増進に寄与する、ことが条件とされている。
日本相撲協会の概要
≪説明責任を果たさない"村社会"≫
2007年7月に病気で地方巡業を欠場したはずの(一人横綱)朝青龍が故郷のモンゴルで(中田英寿選手らと)サッカーに興じていたことがテレビ報道された。この朝青龍事件の最大の問題は、北の湖理事長と朝青龍本人が謝罪会見をやらなかったことだ。
一連の騒ぎで相撲協会にはガバナンスとリスクマネジメントとコンプライアンスが欠落していることが世間に知れ渡ってしまった。内輪の人材ばかりでやってきた組織が世間の常識と乖離してしまう典型例だった。
≪「八百長は一切ない」が相撲協会の建て前≫
大相撲の最大の不祥事は「八百長」である。そもそも相撲界では「八百長」は悪いことだとは思われていなかった。生活のかかった力士同志の互助組合のような要素があったからだ。一方国民の側も千秋楽に7勝7敗の力士のほとんど(多分8割)が8勝7敗になっても"八百長に違いないのでケシカラン"とは思っていなかった。週刊ポストや週刊現代が告発した八百長疑惑も、相撲協会員が起こした訴訟で(明確な証拠がないことから)ずっと勝訴してきた。しかしその「八百長」が、思わぬところ(野球賭博容疑で警察に押収された力士の携帯電話履歴)から発覚した。2011年2月のことで、直後の3月場所は中止に追い込まれてしまった。
≪「創業の精神」の原点に帰る≫
かっての力士は中学を卒業して相撲部屋へ入門し、厳しい稽古に耐え抜いて関取へ昇進するという「相撲部屋制度」に支えられていた。しかし日本が豊かになる(高度成長)とともにその流れは崩れていった。外国人力士や(即戦力の)大学相撲部出身力士が急増した。「伝統ある大相撲は黙っていてもファンは来てくれる」と協会関係者は思い込んでいたが2010年前後の不祥事によって観客が(2011年約30万人へ)激減したことに(旧套墨守の組織運営と自分の部屋さえ良ければいいという)相撲界は一大ショックを受けたのである。
日本の大相撲は「様式(美)」と「(横綱の」品格」と「(究極の」技術」を兼ね備えた格闘技である。「様式」だけは残っていても、横綱の「品格」が問われる事態が(朝青龍の破天荒の行動で)生じていた。また「八百長」などやっていては究極の「技術」が磨かれるわけがなかった。
≪不祥事のおかげで広報改革≫
2011年3月に日本相撲協会は「広報職員」を募集した。2011年5月1日時点で、50歳以下の
民間企業などで広報・宣伝業務に従事した経験者、もしくはマスコミ業界の職務経験者が対象で。業務内容の中には
○協会のイメージアップ戦略
○協会関係者への情報発信
が挙げられていた。それから6年、外部人材起用や女性広報部員採用などの改革によってマーケティング戦略と連動した広報活動の成果は着実に上がっている。
相撲協会改革の教訓
●萩原 誠(はぎわら まこと)
BERC主任研究員、広報コンサルタント
1945年鹿児島県生まれ。1967年京都大学法学部卒。帝人株式会社(マーケティング部長、広報部長)に勤務後、東北経済産業局東北ものづくりコリドークラスターマネージャー、日本原子力学会倫理委員、鹿屋体育大学広報戦略アドバイザー、静岡県東京事務所広報アドバイザーを歴任。
書著に「会社を救う広報とは何か」彩流社、「地域と大学~地方創生・地域再生の時代を迎えて~」南方新社がある。
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